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ソル年表 |
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この本についてのレポートを年表という形でまとめることにしました |
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ソル Fernando Sor 1778-1839 −総括−
ロンドンですごした7年間はピアノとの歌曲「3つのイタリア風アリエット」によって有名となる。それぞれが3曲づつのアリエットをむくむ11のセットを彼は作曲。それと同じに、多くの演奏会を開き、歌を教え、多くのピアノ曲を発表しギターのための最初の練習曲集(Op.6)を作曲。
パリに戻ってからのソルは、他の何よりもギターに身を捧げた。この楽器を教え、演奏会でこれを弾き、《ギター教則本》を出版。 |
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年月日 |
歳 |
出来事・エピソード (青字は政治的事項) |
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スペイン時代 1778-1813 |
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1778年2月14日 |
0 |
バルセロナ大聖堂で洗礼を受ける |
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5 |
イタリア・オペラのアリアをすでに歌っていた |
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正式な音楽教育を受ける前から父のギターを弾き。歌を歌い、作曲もしていた |
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1789年or1790年 |
11or12 |
モンセラートの修道院へ赴く。→聖歌隊歌手となる |
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そこで音楽教育を受ける |
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1796〜1800年 |
18〜22 |
陸軍学校に過ごす |
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1797年8月25日 |
19 |
ソルのオペラ「カリプソの島のテレマコ」がバルセロナ劇場で初演 |
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同じ頃他の作品も書いたが痕跡は残っていない |
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ボレロ・トナディーリアを書いたという証拠は残っている |
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1798年?? |
20代初 |
マドリッド訪問 |
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1802年 |
24 |
ソルの最初の庇護者アルバ公爵夫人が亡くなる |
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Op.22ソナタがこの頃作曲される |
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??年 |
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メディナセーリ公爵がカタロニアの彼の領地の管理役をソルに与える バルセロナに戻る |
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1804年 |
26 |
2回目のマドリード訪問 |
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1804年〜1808年 |
26〜30 |
アンダルシアで小さな王立の役職の長につく |
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1808 |
30 |
マドリッドへもどり、再び軍職に |
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1810〜1812 |
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ヘレスでフランス側の軍籍に入る |
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1812年 |
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フランス軍はアンダルシアを撤退することになり、行動をともにする |
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1813年 |
35 |
アイアーサの「愛国詩集」の中の2曲が作曲 |
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ソルのスペイン時代に作られたギター独奏作品
メヌエット
(Op.11-5のひとつの版) |
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パリ時代 1813-1815 |
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1813年 |
35 |
フランス軍と行動をともにしパリへ。 |
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1814〜1817年 |
36〜40 |
ソルの娘が生まれる。 |
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1814年 |
36 |
ナポレオンエルバ島に流される。ソルは新政府の催す演奏会に加わる |
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1814年2月4日 |
36 |
6つの小品 op.7、社交界のボレーロ《私の目はついうっかりと》出版 |
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1814年8月20日 |
36 |
スペイン愛国行進曲出版 |
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1814年2月4日 |
36 |
幻想曲 Op.7出版 |
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1815年 |
37 |
ソルの肖像画がインサン=ルイ・グーボーの手で描かれる |
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1815年 |
37 |
フルーリー公爵に王の音楽機関に採用してもらえないかと手紙を書く |
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ナポレオン”百日¨のあとバーテルロの戦いに敗れ、イギリスとフランスの文化交流が活発になり、ロンドンではバレエや音楽界が盛んとなる。 |
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1815年末 |
37 |
イギリスに渡る |
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ロンドン時代 1815-1823 |
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だんだんフェルナンド7世の圧制を逃れて多くのスペイン人がイギリスに亡命。イギリスが彼らに保護金を与えさえした。 |
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1816年1月 |
38 |
英国フィル・ハーモニック・ソサエティの会員名簿に彼の名前が載る |
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1816年5月28日 |
38 |
ヴァイオリン奏者ピエール・バイヨー主催の互助演奏会に出席 |
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1816年7月20日 |
38 |
歌手ビリントン夫人主催の互助演奏会に出席 |
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1816年7月21日 |
38 |
カンバーランド公夫妻がケンブリッジ公のために催した大宴会に出席 |
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1817年3月24日 |
39 |
フィル・ハーモニック・ソサエティの第3回演奏会に参加 |
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1817年 |
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メッソニエがはじめてソルの作品を出版 |
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1819年6月30日 |
41 |
アッシュ夫妻の年例演奏会に歌手として参加 |
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1819年 |
41 |
ロンドンで《ボレーロ形式による即興歌》が出版 |
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1819年 |
41 |
イギリスでオペラ《魔笛》が初めて本格的演じられる |
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1822年3月26日 |
44 |
王立劇場でバレエ曲《シンデレラ》初演。 |
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1822年8月26日 |
44 |
オペラ風ドラマ《ジル・ブラス》上演 |
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1822年 |
44 |
バレエ曲《シンデレラ》の成功により王立音楽アカデミーの名誉会員として名簿に名前がのる |
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1823年6月19日 |
45 |
王立劇場でバレエ曲《アルフォンスとレオノール》初演。 |
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1822年の暮れまたは1823年初め |
44or45 |
バレリーナ、フェリシテ・ユランがモスクワのプリマ・バレリーナとして招かれる。 |
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この時代に出版されたソルの作品 |
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作曲の年代と出版の年代は区別しないといけない |
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(1815-18) |
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第2幻想曲 (Op.4)<ギター> |
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(1815or それ以前) |
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6つの喜遊曲〔第1セット〕 (Op.1)<ギター> |
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(1815〜19orそれ以前) |
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6つの喜遊曲、第2セット (Op.2)<ギター> |
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(1815-17頃) |
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6つの練習曲、第2集および第2集 (Op.6)<ギター> |
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(1815-17) |
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3つのイタリア風アリエット〔第1セット〕 <歌とピアノ> |
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(1817、12月頃) |
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3つのイタリア風アリエット、第2セット <歌とピアノ> |
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(1817、12月頃) |
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3つのイタリア風アリエット、第3セット <歌とピアノ> |
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(1815-18) |
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3つのカノン <3重唱とピアノ> |
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(1815-18) |
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スウェーデン民族歌謡による2重奏 <ピアノ 2重奏> |
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(1815-18) |
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3つのワルツ〔第1セット〕 <ピアノ 2重奏> |
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(1815-18) |
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3つのワルツ、第2セット <ピアノ 2重奏> |
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(1818、9月頃) |
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3つのイタリア風アリエット、第4セット <ピアノ 2重奏> |
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1818、11or12月頃 |
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6つの喜遊曲、第3セット (Op.8)<ギター> |
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(1815-19) |
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6つのワルツ、第1セット <ピアノ> |
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6つのワルツ、第2セット <ピアノ> |
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1819/6/15 |
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ボレーロ形式による即興歌 <2重唱とピアノ> |
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1819/12/18 |
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3つのワルツ、第3セット <ピアノ 2重奏> |
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1819/12/18 |
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3つのワルツ、第6セット <ピアノ 2重奏> |
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1819/12/18 |
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6つの喜遊曲、第4セット (Op.13)<ギター> |
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1819/12/24 |
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3つのイタリア風アリエット第5セット
<歌とピアノ> |
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1820/4/17 |
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3つのワルツ、第4セット <ピアノ 2重奏> |
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1820/6/7 |
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3つのイタリア風アリエット第6セット <歌とピアノ> |
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1820/9/12 |
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3つのワルツ、第7セット <ピアノ 2重奏> |
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1820/11/20 |
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3つのイタリア風アリエット第8セット <歌とピアノ> |
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1820/3/1 |
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Sマイヤー作オペラ《恋は異なもの》より「彼は剣を吊った」 <歌とピアノ> |
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1821/3/1 |
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モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲 <ギター> |
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1821/4/19 |
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レ・キュイラシェ(装甲騎兵) <ピアノ> |
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1821/5/9 |
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レ・ファボリート(お気に入り) <ピアノ> |
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1820/11/20 |
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3つのイタリア風2重唱曲〔第1セット〕 <2重唱とピアノ> |
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1821/7/2 |
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3つのイタリア風アリエット、”第1セット”
<歌とピアノ> |
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1822/1/19 |
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3つのイタリア風アリエット第9セット <歌とピアノ> |
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1822/1/19 |
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3つのイタリア風アリエット第10セット <歌とピアノ> |
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1821/4/19 |
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レ・ショワジ(選ばれたもの) <ピアノ> |
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1822/5/28 |
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3つのワルツ(自作ではなく編曲によるセット) <ピアノ 2重奏> |
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1822/5/28 |
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3つのワルツ(自作ではなく編曲によるセット)、第2セット <ピアノ 2重奏> |
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1820/6/8 |
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3つのワルツ、第8セット <ピアノ 2重奏> |
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1820/6/8 |
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3つのイタリア風2重唱曲、第2セット <2重唱とピアノ> |
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1822/8/21 |
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《ジル・ブラス》よりの歌「オビエドの塔よりの別れ」 <歌とピアノ> |
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1822/8/27 |
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《ジル・ブラス》よりの歌「きれいなスペインの娘」 <歌とピアノ> |
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1822/12/2 |
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シンデレラ、ピアノ用スコア <ピアノ> |
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チマローザのオペラ《女の手くだ》より「お世辞はもうたくさん」 <2重唱とピアノ> |
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3つのワルツ、第9セット <ピアノ 2重奏> |
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1823/8/11 |
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3つのワルツ、第10セット <ピアノ 2重奏> |
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幻想曲 (Op.7?) <ギター>1823年あるいはそれ以前 |
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華麗なる2重奏曲 <ピアノ 2重奏>1824年あるいはそれ以前 |
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パリ、ベルリン、ワルシャワ、モスクワ、聖ペテルブルク時代 1823-1826 |
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ユランはモスクワ・バレエと年俸17,000ルーブルの契約をする |
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1823年2月5日 |
45 |
パリ・オペラ座でユランが公式デビュー、ソルもその際パリにいたと思われる |
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1823年2月はじめ |
45 |
ソルはパリである互助演奏会に出演。 |
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1823年3月3日 |
45 |
《シンデレラ》パリ・オペラ座初演 |
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1823年10月 |
45 |
ソルとユラン一行はベルリンを通過
その際ボンの近くを通り、ボンおよびケルンのジムロック社とソルの間に彼の作品出版の話がまとまる
ライプチヒのペータース社も彼の作品(
イタリア風アリエット、イタリア風二重唱曲)を出版 |
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ソルはベルリンで舞踏曲を2つ作曲し、その曲はその時ユランとリシャールによって上演された |
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1823年10月 |
45 |
ソルとユラン一行はポーランド・ワルシャワに |
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1823年10月22日 |
45 |
ソルの演奏会が開かれソルのギター演奏、歌の他、ソルの娘(当時8歳と報じられる)も歌を披露 これは彼が他の音楽家とステージを分け合わなかった唯一のソルの演奏会としての記録 |
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1823年11月 |
45 |
一行はモスクワに、着く |
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1823年12月 |
45 |
バレエ《キューピッドとプシケ》上演 |
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1824年1月 |
46 |
《シンデレラ》初演 |
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1824年2月 |
46 |
《シンデレラ》がもう一度公演され、大成功をおさめる |
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1824年12月1日 |
46 |
ソル作曲《アルフォンスとレオノール、または、恋人は絵描き》上演 |
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1825年1月6日 |
47 |
《シンデレラ》は好評を得てボリショイ・ペドロフスキー劇場の開催の演目に選ばれる |
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1826年3月26日 |
48 |
聖ペテルブルクでロシア皇帝アレクサンデル皇帝の葬儀 新皇帝の后アレクサンドラ皇妃はこの曲をピアノ用に編曲して欲しいと望み、ソルはこの曲を編曲、相当な値打ちの褒美がソルに贈られる 残念ながら行進曲の譜面は今日まで残されていない |
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葬儀が終わり、モスクワに戻ると彼の最高傑作と称される 《ヘラクルスとオムパレー(エルキュールとオンファール)》作曲 |
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1826年 |
48 |
新帝ニコラスの戴冠式を飾る催しのひとつとして上演 |
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1826年末か1827年はじめ |
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モスクワを離れパリに パリに戻る旅行の途中、ドイツでも《ヘラクルスとオムパレー》の序曲は演奏され大反響を呼ぶ ユランもパリに戻るがソルと同道であったかは謎 |
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1827年5月2日 |
49 |
パリでユランは踊るが、その後ロシアに帰り |
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この時代にメッソニエから出版されたソルのギター作品 |
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(1823) |
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第5幻想曲 Op.16 |
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(1824) |
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6つのワルツ Op.17 |
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(1824) |
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6つのワルツ Op.18 |
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(1824) |
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モーツァルトの歌劇《魔笛》から6つのアリア Op.19 |
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(1824) |
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序奏、主題と変奏 Op.20 |
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(1824) |
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《シンデレラ》よりの行進曲 |
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(1825末頃) |
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《別れ》第6幻想曲 Op.21 |
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(1825末頃) |
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グランド・ソナタ Op.22 |
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(1826) |
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第5喜遊曲 Op.23 |
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(1827初め) |
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モーツァルトの人気高いアリアによる華麗な変奏曲 Op.9 |
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(1827初め) |
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8つの小品 Op.24 |
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(1827初め) |
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第2グランド・ソナタ Op.25 |
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(1827初め) |
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<もしも私がシダだったなら>による序奏つき変奏曲 Op.26 |
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(1827初め) |
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<優しき騎兵隊>による序奏つき変奏 Op.27 |
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(1827初め) |
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<マルブルー>による序奏つき変奏曲 Op.28 |
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(1827初め) |
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12の練習曲 Op.29 |
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パリ時代 1826-1839 |
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1826年末または1827年はじめ |
48〜49 |
ソルとユラン、おそらく別行動でモスクワからパリに向かう |
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1826年末または1827年はじめ |
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ソル王立音楽学校のひとつにおいて、モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲Op.9、その改訂版を弾く |
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1827年2月 |
49 |
Opp.24〜29がルヴェ・ミュジカル誌上にまとめて予告される。 |
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1827年6月11日 |
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バレエ曲《シシリー人》、パリ・オペラ座で初演 |
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1828年1月12日 |
50 |
バレエ曲《ハッサンとカリフ、または、目ざめた寝坊男》、ロンドンで王立劇場で初演 |
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1828年1月26日 |
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ピアノ製作者ディーツ氏のサロンにおける演奏会に出演 |
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1828年2月26日 |
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バレエ曲《シシリー人》、ロンドンで王立劇場で初演 |
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1828年4月 |
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”シャントレーヌ街の広場”で催されたロベール婦人の演奏会に出演 |
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1828年4月20日 |
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”クルリー街の広場”で催されたある演奏会に、リスト他の人々とともに出演 |
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1828年4月/5月 |
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ルヴェ・ミュジカル誌の記事によれば《24の斬新的練習曲集Op.31》このころ発表される |
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1828年5月18日 |
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自分のための互助演奏会を催す《第7幻想曲》の表紙に当作品が’彼の演奏会で弾かれたとあるのはおそらくこの折であろう’ |
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1828年5月24日 |
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《ギター教則本》の趣意書できる(本そのものは1830年まで出版されない) |
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1828年夏 |
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ソル出版社をメッソニエからパシーニへ変える |
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1828年8月23日 |
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《3つの社交界の小品Op.36》出版 |
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1828年9月13日 |
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《24の課題曲(練習曲)Op.35》出版 |
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1829年5月9日 |
51 |
《セレナードOp.37》および歌曲 《ギリシャ人の最後の叫び》出版 |
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1829年6月14日 |
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ソル、あるいは弟のカルロス、ディーツ氏のサロンにおける演奏会に出演。そこで彼は若干の独奏およびアグアドとのに二重奏を行う |
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1830年3月 |
52 |
歌手、オーギュスト・パスローンほかの人々とある演奏会に出演 |
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1830年4月24日 |
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”アルポリール”のための3つの作品出版 |
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1830年7月24日 |
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政治的情勢の悪化にもかかわらず、ソル、フンメル、他の人々とある演奏会に出席 |
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1830年7月24日 |
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《シンデレラ》パリ、オペラ座で上演。これが最後の上演となる |
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1828年12月頃 |
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《ギター教則本》出版 |
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1831年3月19日 |
53 |
《24の小品Op.44》出版 |
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1831年3月27日 |
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スペインのピアニスト、ミロの演奏会。ソル、そこで独奏、およびアグアドとの二重奏を行う。歌手ガルシアも同じ演奏会に出演 |
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1831年8月19日 |
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ディーツのサロンで再び互助演奏会を催す |
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1832年2月15日 |
54 |
ミロのための互助演奏会を催す |
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1832年末頃 |
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ファヴァール・ホテルに住んでいたが、サントレノ市場街の一画に転居、他界までここで暮らす |
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1833年3月25日 |
55 |
ルヴェ・ミュジカル誌、《演奏会用断章Op.54》を論評 |
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1834年6月23日 |
56 |
バレエ曲《綺麗なシシリー娘、または征服された尻軽娘》、ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場にて初演 |
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1835年 |
57 |
A・ルデュイおよびH・ベルティーニ編《絵入り百科》のために”ボレーロ”の頃を出筆。 |
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1835年7月 |
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ヴァイオリンとギターのための《ロマネスカ》作曲 |
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1835年11月29日 |
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ギタリスト、レニアーニが骨折し、彼の代わりにソルとアグアドがある演奏家に出演 |
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1836年4月24日 |
58 |
ソル、最後の互助演奏会を催す。 |
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1837年6月8日 |
59 |
ソルの娘、他界 |
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1837年10月 |
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《軍隊のための行進曲》および 《3つの小さな喜遊曲Op.61》出版 |
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1838年4月または5月の初め |
60 |
ナポレオン・コスト演奏会をひらく。プログラムの冒頭にソルとの二重奏 |
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1838年6月 |
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《2つのギターのための喜遊曲Op.62》出版 |
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1839年3月24日 |
61 |
フランス王妃に手紙を書き、近く行われる、彼のミサ曲を含む演奏会の切符を買い上げるように頼む |
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1839年6月 |
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ハウセビオ・フォント・イ・モレスコおよび画家ハイメ・バトリェ、ソルを訪問 |
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1839年7月10日 |
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ソル逝く |
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この時代にメッソニエ(のちにパシーニ)から出版されたソルのギター作品 |
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(1828) |
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第7幻想曲 Op.30 |
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(1828) |
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24の練習曲 Op.31(第1巻) |
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(1828) |
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24の練習曲 Op.31(第2巻)メッソニエから出版された最後の譜面 |
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(1828) |
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6つの小品 Op.32 |
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(1828) |
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3つの社交界の小品 Op.33 |
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(1828) |
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ランクラージュマン Op.34(2重奏) 初版は発見されていない。知られている最古の版は1841年ベーメ社 |
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(1828) |
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24の練習曲 Op.35 |
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(1828) |
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3つの社交界の小品 Op.36 |
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(1827または29) |
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セレナード Op.37 |
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(1829〜30) |
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喜遊曲 Op.38(2重奏) |
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(1829〜30) |
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6つのワルツ Op.39(2重奏) |
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(1829〜30) |
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幻想曲《小川の岸辺》による序奏つき変奏曲 Op.40 |
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(1829〜30) |
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二人の友 Op.41(2重奏)アグアドに献呈 |
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(1830〜31) |
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6つの小品 Op.42 |
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(1830〜31) |
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私が倦怠、6つのバガテル Op.43 |
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(1831) |
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24の漸新的な小品 Op.44 |
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(1831) |
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6つのワルツ Op.44bis(2重奏) |
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(1831) |
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やってみましょう Op.45 |
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(1831頃) |
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幻想曲《友情の想い出》 Op.46 |
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(1832頃) |
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6つの小品 Op.47初版実物は発見されていない |
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(1832頃) |
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これならよろしいか Op.48 |
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(1832頃) |
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軍隊風喜遊曲 Op.49(2重奏) |
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(1832頃) |
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奇想曲《静けさ》 Op.50 |
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(1832頃) |
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ついにやった、6つのワルツ Op.51 |
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(1832頃) |
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村人の幻想 曲Op.52 |
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(1832〜33) |
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私のほうへ第一歩 Op.53(2重奏) |
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(1833) |
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演奏会用断章 Op.54 |
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(1833頃) |
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幻想曲 Op.54bis(2重奏) |
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(1833〜34) |
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3つの2重奏曲 Op.55(2重奏) |
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(1833〜35) |
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ベルリンの夜会の想い出 Op.56 |
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(1834〜35) |
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6つのワルツと1つのギャロップ Op.57 |
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(1835頃) |
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幻想曲Op.58 |
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(1836頃) |
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悲歌的幻想曲 Op.59 |
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(1836〜37頃) |
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練習曲集(ギター練習への入門) Op.60 |
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(1837以前) |
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3つの小さな喜遊曲 Op.61(2重奏) |
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(1838年6月以前) |
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喜遊曲 Op.62(2重奏) |
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(1838〜39) |
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ロシアの思い出 Op.63(2重奏)コストに献呈。主題はロシアのギタリスト兼作曲家M・T・ヴィソツキによるもの |
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