ソル年表

 

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『フェルナンド・ソル 動乱の時代を生きた不滅のギタリスト』
ブライアン・ジェファリ/著 浜田滋郎/訳  
(現代ギター社1979年3月発行)
 

この本についてのレポートを年表という形でまとめることにしました

 

ソル Fernando Sor 1778-1839
6単弦ギターの確立期(1800年-1840年)における最も優れた演奏家兼作曲家として知られ,2曲の《グランド・ソナタ》(出版1825年,1827年),《魔笛の主題による変奏曲》(出版1821年)をはじめ,数多くのギター作品を残した。 


−総括−

スペイン時代 1778-1813
 
スペインの作曲家,ギター奏者。バルセロナに生まれる。少年時代をモンセラート修道院でグレゴリオ聖歌,和声,対位法,作曲などを学ぶ。17才でオペラ「テレマコ」を書き好評を得る。オペラ作曲家として名を上げたのちマドリードに赴き,ギター奏者,作曲家として活躍した。

パリ時代 1813-1815

 
フランス軍と行動をともにしパリへ。 ここではカストロの出版物を通じて彼の名がすでに作曲家として知られていた。

ロンドン時代 1815-1823

ロンドンですごした7年間はピアノとの歌曲「3つのイタリア風アリエット」によって有名となる。それぞれが3曲づつのアリエットをむくむ11のセットを彼は作曲。それと同じに、多くの演奏会を開き、歌を教え、多くのピアノ曲を発表しギターのための最初の練習曲集(Op.6)を作曲。
とあるバレリーナと恋に落ち、バレエ音楽を手がける。それは彼の全生涯を通じて最も多忙な、成功した時期であった。

パリ、ベルリン、ワルシャワ、モスクワ、聖ペテルブルク時代 1823-1826

ソルはロンドンを発ち、ロシアへ。その途中、パリ、ベルリン、ワルシャワに立ち寄る。そして目的地のロシアには3年を過ごすことになる。彼がロンドンを離れた原因は作曲家、ギタリストとして、もっぱら彼自身に理由があったかのような印象を与えているが、バレリーナの恋人、ユランにあり行動をともにしたことは明白であった。
モスクワではソルはさっそく、一流人士の社会の仲間入りをする。音楽が高い水準を求められるこの国で、彼の技倆は敬意をもって迎えられる。彼のギターはもっとも大きな成功を生み、あらゆる音符に均等な巧みさで奏でられるその演奏は、ロシアの人々を驚かせた。

パリ時代 1826-1839 

パリに戻ってからのソルは、他の何よりもギターに身を捧げた。この楽器を教え、演奏会でこれを弾き、《ギター教則本》を出版。
1839年に他界するまで4巻の練習曲集、12の2重奏曲、その他80篇のギター曲を作曲。(歌曲やバレエ曲、器楽曲はわずか少数に)
それは我々ギター弾きに大きな財産をたくさん残してくれた時期であったことは言うまでもない。
1837年ソルの愛娘の死、その深い悲しみと病苦の中、1839ソル他界。

 

 

年月日

出来事・エピソード (青字は政治的事項)

スペイン時代 1778-1813

1778年2月14日

0

バルセロナ大聖堂で洗礼を受ける

 

5

イタリア・オペラのアリアをすでに歌っていた

 

 

正式な音楽教育を受ける前から父のギターを弾き。歌を歌い、作曲もしていた

1789年or1790年

11or12

モンセラートの修道院へ赴く。→聖歌隊歌手となる

 

 

そこで音楽教育を受ける

1796〜1800年

18〜22

陸軍学校に過ごす

1797年8月25日

19

ソルのオペラ「カリプソの島のテレマコ」がバルセロナ劇場で初演

 

 

同じ頃他の作品も書いたが痕跡は残っていない

 

 

ボレロ・トナディーリアを書いたという証拠は残っている

1798年??

20代初

マドリッド訪問

1802年

24

ソルの最初の庇護者アルバ公爵夫人が亡くなる

 

 

  Op.22ソナタがこの頃作曲される

??年

 

メディナセーリ公爵がカタロニアの彼の領地の管理役をソルに与える
役職は名ばかりでオペラを作曲していればよかったのでソルはこれを受ける。
2つの交響曲、3つの4重奏曲
1篇のサルヴェ、5〜6曲のロサリオ、
かなりの数のスペイン語歌曲
を作曲
しかしこれらの作品は残っていない

バルセロナに戻る 

1804年

26

2回目のマドリード訪問
ポルトガル女エルビーラ
管弦楽つき4声のモテット
多くのボレロ・・etc
作曲

1804年〜1808年

26〜30

アンダルシアで小さな王立の役職の長につく
マラガの上流階級の人を集め演奏会を開き、成功をおさめる

1808

30

マドリッドへもどり、再び軍職に
コルドバ義勇軍の隊長となる
ナポレオン軍のスペイン侵入。スペインとフランスの戦いで、1810年にはカディスを除きスペインはフランスに占領される

1810〜1812

 

ヘレスでフランス側の軍籍に入る

1812年

 

フランス軍はアンダルシアを撤退することになり、行動をともにする
バレンシアへ行く
シュシェ夫人へのカンタータが作曲される

 

 

 

1813年

35

アイアーサの「愛国詩集」の中の2曲が作曲
フランスが完全にスペインを撤退。彼とフランス軍との関わりが深すぎたために、彼も祖国スペインを去る

 

 

 ソルのスペイン時代に作られたギター独奏作品

メヌエット (Op.11-5のひとつの版)
メヌエットおよびアレグロ (Op.23-4と2)
4つのメヌエット (その第2のものはOp.11-6)
歌調と変奏 (Op.3およびOp.12はこの作品を後に書き直したもの)
歌調と変奏半音階的主題による)
第1ソナタ (=グラン・ソロ)Op.14
第2ソナタ (=ソナタ)Op.15
主題と変奏 (Op.20がこれと同じ主題によっている)
幻想曲 (後にOp.4とされる)
6つの小品 (後にOp.5とされる)
幻想曲 (後にOp.7とされる) 
ソナタOp.22
メヌエット、 Op.11-3(それにおそらくOp.11に含まれる他のメヌエット全て)
スペインのフォリア (推定)

パリ時代 1813-1815

1813年

35

フランス軍と行動をともにしパリへ。
ここではカストロの出版物を通じて彼の名がすでに作曲家として知られていた。
当時、なお、ナポレオンは権力を握っていた

1814〜1817年

36〜40

ソルの娘が生まれる。
ソルの妻は名前すら分からない。おそらくスペイン人で夫とともにスペインを離れ、1815年頃、娘を生むに際して亡くなったのではと推測される

1814年

36

ナポレオンエルバ島に流される。ソルは新政府の催す演奏会に加わる

1814年2月4日

36

6つの小品 op.7、社交界のボレーロ《私の目はついうっかりと》出版

1814年8月20日

36

スペイン愛国行進曲出版

1814年2月4日

36

幻想曲 Op.7出版

1815年

37

ソルの肖像画がインサン=ルイ・グーボーの手で描かれる

1815年

37

フルーリー公爵に王の音楽機関に採用してもらえないかと手紙を書く
返信は不明

 

 

ナポレオン”百日¨のあとバーテルロの戦いに敗れ、イギリスとフランスの文化交流が活発になり、ロンドンではバレエや音楽界が盛んとなる。
その為、ソルはロンドンへ行きたいという気を起こしたのではないか・・

1815年末

37

イギリスに渡る

ロンドン時代 1815-1823

 

 

だんだんフェルナンド7世の圧制を逃れて多くのスペイン人がイギリスに亡命。イギリスが彼らに保護金を与えさえした。

1816年1月

38

英国フィル・ハーモニック・ソサエティの会員名簿に彼の名前が載る

1816年5月28日

38

ヴァイオリン奏者ピエール・バイヨー主催の互助演奏会に出席

1816年7月20日

38

歌手ビリントン夫人主催の互助演奏会に出席

1816年7月21日

38

カンバーランド公夫妻がケンブリッジ公のために催した大宴会に出席

1817年3月24日

39

フィル・ハーモニック・ソサエティの第3回演奏会に参加
《コンチェルタンテ》を演奏。これは手稿譜のみと思われ、今日は現存しない。
ソルの生涯で最も名高い演奏会として扱われる
この頃3つのイタリア風アリエット作曲

1817年

 

メッソニエがはじめてソルの作品を出版

1819年6月30日

41

アッシュ夫妻の年例演奏会に歌手として参加
1819年を境にロンドンの演奏活動を控える。
高い成功を招く作曲を優先させたと思われる

1819年

41

ロンドンで《ボレーロ形式による即興歌》が出版

1819年

41

イギリスでオペラ《魔笛》が初めて本格的演じられる
これに刺激をうけてソルがこのモーツァルトの魔笛の主題による変奏曲を書いたと思われる

1822年3月26日

44

王立劇場でバレエ曲《シンデレラ》初演。
生涯で、最も成功した作品となる

1822年8月26日

44

オペラ風ドラマ《ジル・ブラス》上演

1822年

44

バレエ曲《シンデレラ》の成功により王立音楽アカデミーの名誉会員として名簿に名前がのる

1823年6月19日

45

王立劇場でバレエ曲《アルフォンスとレオノール》初演。

1822年の暮れまたは1823年初め

44or45

バレリーナ、フェリシテ・ユランがモスクワのプリマ・バレリーナとして招かれる。
彼女と密接な交際をしていたソルは彼女と行動をともにする

 

 

 

 

 

 

この時代に出版されたソルの作品


出版管理局登録日付
()はプレートナンバーから割り出した日付

作曲の年代と出版の年代は区別しないといけない
Op.23以前は出版よりずっと以前に書かれた可能性が高い
作品番号も便宜的に付けられたもので、作曲年代順を示していない

(1815-18)

 

第2幻想曲 (Op.4)<ギター>

(1815or それ以前)

 

6つの喜遊曲〔第1セット〕 (Op.1)<ギター>

(1815〜19orそれ以前)

 

6つの喜遊曲、第2セット (Op.2)<ギター>

(1815-17頃)

 

6つの練習曲、第2集および第2集 (Op.6)<ギター>

(1815-17)

 

3つのイタリア風アリエット〔第1セット〕 <歌とピアノ>

(1817、12月頃)

 

3つのイタリア風アリエット、第2セット <歌とピアノ>

(1817、12月頃)

 

3つのイタリア風アリエット、第3セット <歌とピアノ>

(1815-18)

 

3つのカノン <3重唱とピアノ>

(1815-18)

 

スウェーデン民族歌謡による2重奏 <ピアノ 2重奏>

(1815-18)

 

3つのワルツ〔第1セット <ピアノ 2重奏>

(1815-18)

 

3つのワルツ、第2セット <ピアノ 2重奏>

(1818、9月頃)

 

3つのイタリア風アリエット、第4セット <ピアノ 2重奏>

1818、11or12月頃

 

6つの喜遊曲、第3セット (Op.8)<ギター>

(1815-19)

 

6つのワルツ、第1セット <ピアノ>

 

 

6つのワルツ、第2セット <ピアノ>

1819/6/15

 

ボレーロ形式による即興歌 <2重唱とピアノ>

1819/12/18

 

3つのワルツ、第3セット <ピアノ 2重奏>

1819/12/18

 

3つのワルツ、第6セット <ピアノ 2重奏>

1819/12/18

 

6つの喜遊曲、第4セット (Op.13)<ギター>

1819/12/24
(1820、1月頃) 

 

3つのイタリア風アリエット第5セット <歌とピアノ>
モーツァルトの《ドン・ジョバンニ》より3つのアリア「ひとしい人よ、あなたはみるでしょう」「打ってよ、マゼット」「さあ、窓辺においで」

1820/4/17

 

3つのワルツ、第4セット <ピアノ 2重奏>

1820/6/7

 

3つのイタリア風アリエット第6セット <歌とピアノ>

1820/9/12

 

3つのワルツ、第7セット <ピアノ 2重奏>

1820/11/20

 

3つのイタリア風アリエット第8セット <歌とピアノ>

1820/3/1

 

Sマイヤー作オペラ《恋は異なもの》より「彼は剣を吊った」 <歌とピアノ>

1821/3/1

 

モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲 <ギター>

1821/4/19

 

レ・キュイラシェ(装甲騎兵) <ピアノ>

1821/5/9

 

レ・ファボリート(お気に入り) <ピアノ>

1820/11/20

 

3つのイタリア風2重唱曲〔第1セット〕 <2重唱とピアノ>

1821/7/2

 

3つのイタリア風アリエット、”第1セット” <歌とピアノ>
(真の第1セットは他に実在する)

1822/1/19

 

3つのイタリア風アリエット第9セット <歌とピアノ>

1822/1/19

 

3つのイタリア風アリエット第10セット <歌とピアノ>

1821/4/19

 

レ・ショワジ(選ばれたもの) <ピアノ>

1822/5/28

 

3つのワルツ(自作ではなく編曲によるセット) <ピアノ 2重奏>

1822/5/28

 

3つのワルツ(自作ではなく編曲によるセット)、第2セット <ピアノ 2重奏>

1820/6/8

 

3つのワルツ、第8セット <ピアノ 2重奏>

1820/6/8

 

3つのイタリア風2重唱曲、第2セット <2重唱とピアノ>

1822/8/21

 

《ジル・ブラス》よりの歌「オビエドの塔よりの別れ」 <歌とピアノ>

1822/8/27

 

《ジル・ブラス》よりの歌「きれいなスペインの娘」 <歌とピアノ>

1822/12/2

 

シンデレラ、ピアノ用スコア <ピアノ>

 

 

チマローザのオペラ《女の手くだ》より「お世辞はもうたくさん」 <2重唱とピアノ>

 

 

3つのワルツ、第9セット <ピアノ 2重奏>

1823/8/11

 

3つのワルツ、第10セット <ピアノ 2重奏>

 

 

幻想曲 (Op.7?) <ギター>1823年あるいはそれ以前

 

 

華麗なる2重奏曲 <ピアノ 2重奏>1824年あるいはそれ以前

 

 

 

パリ、ベルリン、ワルシャワ、モスクワ、聖ペテルブルク時代 1823-1826

 

 

ユランはモスクワ・バレエと年俸17,000ルーブルの契約をする
ソルは彼女についていく
彼女にはソルの娘、フランスの舞踏家リシャールも同行
まず一行はパリに行く

1823年2月5日

 45

パリ・オペラ座でユランが公式デビュー、ソルもその際パリにいたと思われる

1823年2月はじめ

 45

ソルはパリである互助演奏会に出演。
1823年3月のハーモニコン誌に「小さなオーケストラに他ならない」と絶賛される 

1823年3月3日

 45

《シンデレラ》パリ・オペラ座初演

1823年10月

 45

ソルとユラン一行はベルリンを通過

その際ボンの近くを通り、ボンおよびケルンのジムロック社とソルの間に彼の作品出版の話がまとまる
     1824〜25年の間に出版されるOp.1〜20までの全ギター曲
    作品番号なしの《主題と変奏》
    ギター用に編曲された《シンデレラよりの行進曲》

ライプチヒのペータース社も彼の作品( イタリア風アリエット、イタリア風二重唱曲)を出版
     おそらくこれも旅の途中でまとめられた話と推測される

 

 

ソルはベルリンで舞踏曲を2つ作曲し、その曲はその時ユランとリシャールによって上演された

1823年10月

 45

ソルとユラン一行はポーランド・ワルシャワに
ユランとリシャールの公演は4回行われ、大成功をおさめる

1823年10月22日

 45

ソルの演奏会が開かれソルのギター演奏、歌の他、ソルの娘(当時8歳と報じられる)も歌を披露

これは彼が他の音楽家とステージを分け合わなかった唯一のソルの演奏会としての記録

1823年11月

 45

一行はモスクワに、着く

1823年12月

 45

バレエ《キューピッドとプシケ》上演

1824年1月

 46

《シンデレラ》初演

1824年2月

 46

《シンデレラ》がもう一度公演され、大成功をおさめる

1824年12月1日

 46

ソル作曲《アルフォンスとレオノール、または、恋人は絵描き》上演

1825年1月6日

 47

《シンデレラ》は好評を得てボリショイ・ペドロフスキー劇場の開催の演目に選ばれる

1826年3月26日

 48

聖ペテルブルクでロシア皇帝アレクサンデル皇帝の葬儀
この折、皇帝ニコラスから選ばれ演奏されたのがソルの軍楽隊用の 葬送行進曲

新皇帝の后アレクサンドラ皇妃はこの曲をピアノ用に編曲して欲しいと望み、ソルはこの曲を編曲、相当な値打ちの褒美がソルに贈られる

残念ながら行進曲の譜面は今日まで残されていない

 

 

葬儀が終わり、モスクワに戻ると彼の最高傑作と称される 《ヘラクルスとオムパレー(エルキュールとオンファール)》作曲

1826年

 48

新帝ニコラスの戴冠式を飾る催しのひとつとして上演

1826年末か1827年はじめ

 

モスクワを離れパリに

パリに戻る旅行の途中、ドイツでも《ヘラクルスとオムパレー》の序曲は演奏され大反響を呼ぶ

ユランもパリに戻るがソルと同道であったかは謎

1827年5月2日

 49

パリでユランは踊るが、その後ロシアに帰り
ソルはパリに留まり、残る生涯をここで過ごすこととなる

 

 

 

この時代にメッソニエから出版されたソルのギター作品

(1823)

 

第5幻想曲 Op.16

(1824)

 

6つのワルツ Op.17

(1824)

 

6つのワルツ Op.18

(1824)

 

モーツァルトの歌劇《魔笛》から6つのアリア Op.19

(1824)

 

序奏、主題と変奏 Op.20

(1824)

 

《シンデレラ》よりの行進

(1825末頃)

 

《別れ》第6幻想曲 Op.21

(1825末頃)

 

グランド・ソナタ Op.22

(1826)

 

第5喜遊曲 Op.23

(1827初め)

 

モーツァルトの人気高いアリアによる華麗な変奏 Op.9

(1827初め)

 

8つの小品 Op.24

(1827初め)

 

第2グランド・ソナタ Op.25

(1827初め)

 

<もしも私がシダだったなら>による序奏つき変奏曲 Op.26

(1827初め)

 

<優しき騎兵隊>による序奏つき変奏 Op.27

(1827初め)

 

<マルブルー>による序奏つき変奏曲 Op.28

(1827初め)

 

12の練習曲 Op.29

 

 

 

パリ時代 1826-1839

 

 

 

1826年末または1827年はじめ

 48〜49

ソルとユラン、おそらく別行動でモスクワからパリに向かう

1826年末または1827年はじめ

 

ソル王立音楽学校のひとつにおいて、モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲Op.9、その改訂版を弾く

1827年2月

49

Opp.24〜29がルヴェ・ミュジカル誌上にまとめて予告される。

1827年6月11日

 

バレエ曲《シシリー人》、パリ・オペラ座で初演

1828年1月12日

50

バレエ曲《ハッサンとカリフ、または、目ざめた寝坊男》、ロンドンで王立劇場で初演

1828年1月26日

 

ピアノ製作者ディーツ氏のサロンにおける演奏会に出演

1828年2月26日

 

バレエ曲《シシリー人》、ロンドンで王立劇場で初演

1828年4月

 

”シャントレーヌ街の広場”で催されたロベール婦人の演奏会に出演

1828年4月20日

 

”クルリー街の広場”で催されたある演奏会に、リスト他の人々とともに出演

1828年4月/5月

 

ルヴェ・ミュジカル誌の記事によれば《24の斬新的練習曲集Op.31》このころ発表される

1828年5月18日

 

自分のための互助演奏会を催す《第7幻想曲》の表紙に当作品が’彼の演奏会で弾かれたとあるのはおそらくこの折であろう’

1828年5月24日

 

《ギター教則本》の趣意書できる(本そのものは1830年まで出版されない)

1828年夏

 

ソル出版社をメッソニエからパシーニへ変える

1828年8月23日

 

《3つの社交界の小品Op.36》出版

1828年9月13日

 

《24の課題曲(練習曲)Op.35》出版

1829年5月9日

51

《セレナードOp.37》および歌曲 《ギリシャ人の最後の叫び》出版

1829年6月14日

 

ソル、あるいは弟のカルロス、ディーツ氏のサロンにおける演奏会に出演。そこで彼は若干の独奏およびアグアドとのに二重奏を行う

1830年3月

52

歌手、オーギュスト・パスローンほかの人々とある演奏会に出演

1830年4月24日

 

”アルポリール”のための3つの作品出版

1830年7月24日

 

政治的情勢の悪化にもかかわらず、ソル、フンメル、他の人々とある演奏会に出席

1830年7月24日

 

《シンデレラ》パリ、オペラ座で上演。これが最後の上演となる

1828年12月頃

 

《ギター教則本》出版

1831年3月19日

53

《24の小品Op.44》出版

1831年3月27日

 

スペインのピアニスト、ミロの演奏会。ソル、そこで独奏、およびアグアドとの二重奏を行う。歌手ガルシアも同じ演奏会に出演

1831年8月19日

 

ディーツのサロンで再び互助演奏会を催す

1832年2月15日

54

ミロのための互助演奏会を催す

1832年末頃
遅くとも1828年5月から、あるいはおそらくロシアから戻って以来

 

ファヴァール・ホテルに住んでいたが、サントレノ市場街の一画に転居、他界までここで暮らす
少なくともアグアドは1826〜1838年、ソルは1828〜1832までファヴァール・ホテルに住んでいたので、ほぼ4年間アグアドとソルはともに暮らしたことになる

1833年3月25日

55

ルヴェ・ミュジカル誌、《演奏会用断章Op.54》を論評

1834年6月23日

56

バレエ曲《綺麗なシシリー娘、または征服された尻軽娘》、ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場にて初演

1835年

57

A・ルデュイおよびH・ベルティーニ編《絵入り百科》のために”ボレーロ”の頃を出筆。
同百科”ソル”の頁もほとんど確実に彼自身の筆になる

1835年7月

 

ヴァイオリンとギターのための《ロマネスカ》作曲

1835年11月29日

 

ギタリスト、レニアーニが骨折し、彼の代わりにソルとアグアドがある演奏家に出演

1836年4月24日

58

ソル、最後の互助演奏会を催す。
プログラムは《村人の幻想曲Op.52》およびアグアドとの二重奏

1837年6月8日

59

ソルの娘、他界

1837年10月

 

《軍隊のための行進曲》および 《3つの小さな喜遊曲Op.61》出版

1838年4月または5月の初め

60

ナポレオン・コスト演奏会をひらく。プログラムの冒頭にソルとの二重奏
この頃からソルは病に陥る

1838年6月

 

《2つのギターのための喜遊曲Op.62》出版

1839年3月24日

61

フランス王妃に手紙を書き、近く行われる、彼のミサ曲を含む演奏会の切符を買い上げるように頼む
それによると、病弱のため人にギターを教えることもかなわず、生計を立てる手段が他にないという

1839年6月

 

ハウセビオ・フォント・イ・モレスコおよび画家ハイメ・バトリェ、ソルを訪問

1839年7月10日

 

ソル逝く

 

 

 

この時代にメッソニエ(のちにパシーニ)から出版されたソルのギター作品

(1828)

 

第7幻想曲 Op.30

(1828)

 

24の練習曲 Op.31(第1巻)

(1828)

 

24の練習曲 Op.31(第2巻)メッソニエから出版された最後の譜面

(1828)

 

6つの小品 Op.32

(1828)

 

3つの社交界の小品 Op.33

(1828)

 

ランクラージュマン Op.34(2重奏) 初版は発見されていない。知られている最古の版は1841年ベーメ社

(1828)

 

24の練習曲 Op.35

(1828)

 

3つの社交界の小品 Op.36

(1827または29)

 

セレナード Op.37

(1829〜30)

 

喜遊曲 Op.38(2重奏)

(1829〜30)

 

6つのワルツ Op.39(2重奏)

(1829〜30)

 

幻想曲《小川の岸辺》による序奏つき変奏曲 Op.40 

(1829〜30)

 

二人の友 Op.41(2重奏)アグアドに献呈

(1830〜31)

 

6つの小品 Op.42

(1830〜31)

 

私が倦怠、6つのバガテル Op.43 

(1831)

 

24の漸新的な小品 Op.44

(1831)

 

6つのワルツ Op.44bis(2重奏)

(1831)

 

やってみましょう Op.45 

(1831頃)

 

幻想曲《友情の想い出》 Op.46 

(1832頃)

 

6つの小品 Op.47初版実物は発見されていない

(1832頃)

 

これならよろしいか Op.48 

(1832頃)

 

軍隊風喜遊曲 Op.49(2重奏)

(1832頃)

 

奇想曲《静けさ》 Op.50

(1832頃)

 

ついにやった、6つのワルツ Op.51 

(1832頃)

 

村人の幻想 曲Op.52 

(1832〜33)

 

私のほうへ第一歩 Op.53(2重奏)

(1833)

 

演奏会用断章 Op.54 

(1833頃)

 

幻想曲 Op.54bis(2重奏)

(1833〜34)

 

3つの2重奏曲 Op.55(2重奏)

(1833〜35)

 

ベルリンの夜会の想い出 Op.56 

(1834〜35)

 

6つのワルツと1つのギャロップ Op.57 

(1835頃)

 

幻想曲Op.58 

(1836頃)

 

悲歌的幻想曲 Op.59

(1836〜37頃)

 

練習曲集(ギター練習への入門) Op.60 

(1837以前)

 

3つの小さな喜遊曲 Op.61(2重奏)

(1838年6月以前)

 

喜遊曲 Op.62(2重奏)

(1838〜39)

 

ロシアの思い出 Op.63(2重奏)コストに献呈。主題はロシアのギタリスト兼作曲家M・T・ヴィソツキによるもの

 

 

 

 


hisayoのギター記録帳  
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